私は、ずーっと生き難いと思って生きて来た。それは今もそう。日々生き難い。
多分、保育園の時点で思っていたと思う。
その頃は『生き難い』なんて、かわいくない言い方はしていなかったけれど、
漠然と違和感を抱えていたことは確かだ。
それなりに子供らしかったと思うが、癖のある子だったと思う。
理屈の固まりだった。よく『屁理屈!』と怒られた。
私は理不尽な思いをすることが一番嫌だ。
自分の性格もあるが、何より育った環境でいつも理不尽な思いを
していたことが大きのだと思う。
理不尽さを理解し、受け入れたり、受け流したりすることが出来ない。
理不尽な思いを、言葉や論理的な何かで解決しようとする子だったと思う。
だからいつも常に、あれこれ考えていた。
自分の考えに没頭し、自分の世界に閉じこもっている事が多い。
なので、私は友達と遊んで楽しかった記憶や、気軽に誰かと遊んだ
覚えもない。人と遊ぶことは苦痛を伴うことだった。
遊べば楽しいのだが、遊ぶ約束を取り付けるまでが一苦労だった。心労を伴う。
かと言って「一人で遊ぶの平気」と言う子でもない。
どちらにしても苦痛が伴うのだ。
子供は伸びやかに遊び、楽しくはしゃぐものだ。
でもその記憶がなく、日々に違和感を抱え、生き難く感じていたことばかり思い出す。
まったくしていなかった訳ではないと思うのだが、自分の性格上、
生き難いことばかりピックアップしてしまう。
それは今もそうだ。
明日が今日よりいい日だなんて思えない。
楽しいことがあるはずと、心がはしゃぐこともない。
いつもあるのは絶望だ。すごく辛い。
戯曲を書く前にネタ帳を作る。とにかく思いつくままに書くのだけれど、
自分が常に気にしていることを、ついつい書いてしまう。
そこから自分が見えてくることがある。
気付いたことがある。
私が生き難い理由、それは「不安」の存在だ。
生きて行くことが不安で仕方なかったのだ。
その不安を肯定してくるような出来事が耐えられなかったのだと思う。
私にとって「不安」は大きな問題だ。
だから不安について考える。
考えて考えまくって、また戯曲を書く。
ヒロセエリ









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